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一日一服。毎朝のお茶で
生活のリズムをつくる。

一日一服。毎朝のお茶で
生活のリズムをつくる。

谷村丹後さん
(茶筅師)

1964年、奈良県生駒市高山町生まれ。大学卒業後、大阪でサラリーマンや輸入雑貨販売店経営などを経て、家業に専従。2006年に当代第20代目谷村丹後を襲名。2015年、経済産業大臣指定伝統工芸士認定。中田英寿氏主宰の「REVALUE NIPPON CHARITY GALA with GUCCI」に佐藤可士和氏、田川欣哉氏と共に参加するなど、業界を超え活躍の場を広げている。

お茶(茶道)をはじめたきっかけを教えてください。

大前提として、茶筅師の家に生まれたことが始まりですね。僕の祖父も父親も茶筅師だけど、お茶を点ててるのは見たことがない。自分たちはあくまでも職人であるということで、お茶人さんとの間に線引きをしていたようです。けど、僕はそれはちょっと違うな、と思ってお茶を始めました。作り手として、自分の作品がどういう使われ方をしているのかを知らないと、より良いものが出てこないのではないかと。5~6年前には、2年ほど裏千家でお茶を習ってもみました。僕以外が全員先生方で、少し居心地が悪くなって一旦休憩させてもらってますが(笑)。あとは、作った商品を確かめるために、毎朝自分でお茶を点ててますね。

お茶はあなたにとってどんな存在ですか?

朝に点てる抹茶は特にいいですね。一服で一日の生活のリズムができます。抹茶を飲むということは、茶碗を用意し、お湯を沸かし、茶杓で抹茶をすくい、お湯を注いで、茶筅で攪拌して飲むという一連の流れを踏むこと。たとえば5分間、絶対その時間は抹茶のために取られるわけです。その時間は、頭を空にして、無になってその動きに集中する。いろんな考え事を忘れてみる。飲み干した瞬間に、現実に戻って、「さあ、今日もがんばろうか」という気分になりますよ。こうやって、僕は一日の生活のリズムをつくっています。

お茶をすることで日常生活に変化があったら教えてください。

物を大事にする気持ちが昔より出たような気がします。お茶をしていると、なぜこの道具は存在するのか、ということに段々と想いが至ります。この美味しいお茶を毎朝飲めるのは、お茶を作っている生産者がいて、お茶碗をひねる人がいて、お茶を飲むためだけの色々な道具を作る人がいるから。その中には、何百年も残る道具もあるわけです。単に高い、安いという金額の問題ではなくて、入魂の作品であったり、災害の中でこれだけ生き残ったといった云われなど、それぞれにストーリーがある。そういうことに思い至ると、物を大切にしようという気持ちになります。

お気に入りの茶道具を教えてください。

パンキッシュな黒織部
これは、ちょっとパンキッシュな「黒織部」です。中田英寿さんが主宰していたリバリューニッポンプロジェクトの一環で、いろんなクリエイターの方がチームになって作品をつくってチャリティするという企画。この茶碗は、松岡正剛さん監修のもと、陶芸家・林恭介さんと芥川賞受賞作家である町田康さんが完成させたものです。実はこれは8個しかなくて、手に入らないかなと思っていたところ、最後の1個を譲ってもらいました。茶道具も「縁」ですね。この茶碗は、僕にしたらええ値段だったわけ。けどここを逃すと、手に入らない。来るべくして来たんだなと思えるし、だからこそ思い入れもある。うちの茶室でもガンガンに使ってますね。

あたためているお茶会のプランをそっとおしえてください。

何年か前に着物を手に入れたので、それを着てお茶会をするというのが夢。家にお茶室があって、そこで二回はしたことがあります。呼ぶお客様のルールはたったひとつ。お茶のプロでないこと。すると、ちょっと型を間違っても気づかれない(笑)。カジュアルな茶会です。来たお客さんに喜んで帰っていただける。それに勝る喜びはないですね。けど実は、亭主が一番楽しいってことに気づきました。茶会は、自分が満足するというのも大切です。

お茶道具の中で、茶筅ってどんな存在ですか?

茶道具の中での茶筅は末席。これは間違いない。茶筅は、唯一と言っていいほど、作り手の名前が出ない道具です。ただし必需品で、他のもので代わりをすることができないっていうね。茶碗や茶杓はどうにかなるかもしれないけど、茶筅を忘れると、もうどうしようもない。登山をして山頂の気持ちいいところで野点て(のだて)しようとしたところ、いざ飲もうとしたときに茶筅を忘れてることに気付いた…っていう笑い話があるぐらい。茶筅はあって当たり前で、ただそこにあるもの。適度に大事にしてもらったらいいと思っています。消耗品だけど、僕は芸術品を作っているつもりで毎日作っています。

思い入れのある茶筅。今までで最高の茶筅は?

あえて思い入れのある茶筅を選ぶなら、初めて自分が手がけて世の中に出て行った茶筅。初めて師匠である父から「OK」が出た茶筅ですね。そこまで2年ぐらいはかかりました。さらに全部の工程ができるようになるまでは10年ほどかかります。しかし本来は、茶筅は出来の良し悪しがあってはいけないもの。全部が同じ使い心地になるように気を付けてます。固い竹は薄目に削って、柔らかい竹は若干厚くしておくことで、できあがったときには仕上がりが揃います。茶筅は「入魂の作品」があるとおかしいんですよ。

最後に、お茶をやられていない方へ、お茶の愉しさを一言お願いします。

まずは、お菓子を食べてお茶を飲んでみてください。この楽しさを言葉で伝えるのは、難しいですね。僕は日本人全員が、家にマイ茶筅とお茶椀と抹茶があればいいのにな、と思う。一日一服。毎朝の抹茶で生活のリズムを作ってみてください。

編集後記

茶筅は茶道具の末席だから…と話す谷村さん。ただその逞しくも繊細な手から生まれる茶筅を見ると、そこには不思議なほどの芸術性を感じます。 それはきっと、谷村さんがモノに宿るストーリーを大切にしているから。今日も日課のお茶を点てて、一日のリズムをつくり、茶筅と向き合っていることでしょう。

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