読み物
茶道のこと
はじめての抹茶茶碗。一服のお茶を愉しむために生まれた「楽茶碗」とは
400年続く茶道のための焼きもの「楽焼」
「一品一様。同じものは複数存在しない」
江戸時代末期から続く「楽焼窯元 和楽」の8代目 川嵜基生さんは、自身がつくる「楽焼」の茶碗についてそう話します。
伝統の製法や精神、歴史を受け継ぎながら、それでいてひとつひとつ異なるものが生み出されていく。茶の湯のためにうまれたこの特別な焼きものは、一体どのようにつくられているのか。そして、私たちは楽焼をどのように愉しめば良いのでしょうか。
「楽焼窯元 和楽」はその名の通り、「楽焼」の伝統を受け継ぎ、作陶を続けてきた窯元。元々は「短冊屋」という屋号で窯を開き、1918年に時の元帥 東郷平八郎から「和楽」という直筆の号を贈られたことで屋号を改名し、今に至ります。
「楽焼」(楽茶碗)のはじまりは、さらに遡って約450年前、桃山時代の終わり頃。わび茶を大成した茶人 千利休が自身の美意識に合うものとして、陶工 長次郎に指示し、焼かせた茶碗がその興りです。一説には長次郎は瓦細工を手がける工人であったとも伝わりますが、樂焼の技術のルーツは中国明時代の三彩陶。桃山時代には京都を中心に中国由来の色鮮やかな三彩釉を用いる焼物が焼かれはじめていました。長次郎もその技術をもった焼物師の一人であったと考えられています。一見、素朴な黒や赤の茶碗でも、その背景には確かな手わざがあったのです。
長次郎の家系には太閤 豊臣秀吉から「樂」の字が与えられ、初代長次郎以来450年、「樂家」として現在まで16代にわたって楽焼づくりを継承。一般に、この「樂家」16代の楽焼を「本楽」と呼び、やがてその人気の高さと親しみやすさからから多くの脇窯が生まれました。
手捏(づく)ねと独特の焼成方法が生む、唯一無二の茶碗
楽焼に共通する大きな特徴のひとつは、ろくろや型を使わず、土を手でこねて形をつくりあげること。「手捏(づく)ね」と呼ばれるこの手法で立ち上がる形は、まさにつくり手の手指の形そのもの。そこから、へらを用いて外側と内側を丹念に削りあげることで、茶碗に唯一無二の輪郭が備わっていきます。
「削る以外にも、押してみたり、叩いてみたり。指が馴染むように、口をつけるところは内側に入り込むように、高台のバランスや厚みも確認しながら、使う人の持つ形を意識して成形していきます。内側にも表情が出るのが楽焼茶碗の特徴です」
毎回、一碗ごとに、使う人の馴染みを考えながら丁寧に形をつくっていく。敢えて違いを意識しすぎずとも、自ずと毎回違うものになっていくと川嵜さんは言います。
焼成方法も非常に独特。一般的な焼きものでは、窯の中に作品を並べてから火を入れ、徐々に温度を上げていきますが、楽焼は温度が上がった状態の熱い窯に、一度素焼きをした状態の茶碗を入れて急激に熱します。
「楽焼には“黒楽”・“赤楽”と大きく二つの種類があります。特に黒楽の方は約1200度という高い温度まで上げたところにお茶碗を入れるので、一般的な焼きものと比べると粒子の粗い、火に強い土が必要です。窯に入れたあとは5分〜7分程度ですぐに取り出します。急熱急冷。土にとっては厳しい環境だと思います」
短時間で一気に熱を加えることで、硬く焼き締まることなく、やわらかな土の表情や手触りが生まれるのだそう。このやり方で一度に焼けるのはわずか数碗のみ。非効率にも感じますが、「一品一様」を実現する上では、実は理にかなっている部分もあるのだとか。
「一般的な陶芸の常識からからすると、『土はもつの?危なくないの?』と心配されるような焼き方だと思います。ただ、ひとつひとつ窯に入れて、出してというこのやり方によって、焼き上がりの表情が変わってきます。
窯の温度や焼成時間も毎回微妙に異なりますし、酸素濃度も調整が効かないので、必然的に同じものができない作り方になっているんです」
トライ&エラーを繰り返しながら、理想の茶碗を追求する
年に6~7回、黒楽を焼成するのはこのあたりという日にちを決めておいて、そこに向かって日々、茶碗の形をつくっていくとのこと。土の状態から成形し終えるまで、通常であれば1ヶ月半ほどの時間を要します。
ひとつひとつ丁寧に成形した茶碗たち。すべてをきちんと焼きたいと考えてしまいそうですが、楽焼の場合、焼成段階でも様々な調整を繰り返します。
「少し粗野な焼き方をしていることもあって、ある程度ダメなものも出るんですよ。それも含めて楽焼なのかなと。
お茶碗を入れて、出してみて、ちょっと違うなと感じた場合には、温度や時間、釉薬の分量などをその場で調節します。窯作業の間にこうした調整をするのはかなり特殊なことだと思います。ダメなものは弾けばいいという感覚も大事です。すべてがトライ&エラー。短い時間の勝負、そんな感覚で焼き上げるからこそできることですね」
同じものはつくらない。かといって外れてはいけないラインもあります。
「難しいですが、やはり自分がいいと思うだけではダメだろうと考えています。手の大きも人それぞれですし、重いという感覚も違うので。実際に使っていただく方に見てもらって、喜んでもらう。そこから外れてはいけない。
そして、きちんと手間をかけて、元々の楽焼の精神を手ぬかりなく伝える。それが大切だと思います」
飯茶碗と抹茶碗の違いとは
茶論の総合監修を務める茶人 木村宗慎氏は抹茶碗について、日本の茶の湯が生み出した非常に不思議な陶磁器・造形物であると話します。
「飯碗と抹茶碗の大きな違いは、“鑑賞”するということ。抹茶碗に求められるのは、ただ抹茶がうまく点てられれば良いということだけではありません。
手で触れ、唇で触れ、お茶を張ったぬくもりまでも感じる。つくり手の手指の跡、土の風情、釉薬のテクスチャといったものまで味わう。ありとあらゆる要素を五感で鑑賞する器物であるというのが面白く、特徴的です。
よく“茶碗は高台が大事”という言い方をしますが、それも鑑賞という観点があるから。高台は物理的に土の質量がもっとも多く、ヘラの削り跡や手の跡が残りやすい。造形的な特徴が出やすい部分なので、そこをしっかり鑑賞するわけです」
五感をフルに使って鑑賞する器物。そのことを意識しておくと、抹茶碗との出会いがより刺激的なものになる。そして、自分のお気に入りの一碗を見つけた時の喜びもひとしお。逆に、無機質なもの、工業生産的な規格品では面白くないということになります。
手でお茶をすくっているかのような感覚を生む「黒楽」
「中でも楽茶碗は、ろくろを使用せず、手で土をこね、立ち上げ、削り、指で整える。これはまさに、“つくり手の手そのもの”をこちらが預かっているようなもの。そこが面白い。
ちなみに、最初に楽焼をつくった長次郎は、現在重要文化財に指定されている非常に彫刻的な獅子の像などもつくっています。そうした高い技術を持っていた人が、あえてその上手さを前面に出さずに、素朴につくっているのです」
軟質でやわらかくて割れやすい、こうした焼きものを利久が選んだのはなぜなのか。木村氏は、あたかも濃茶を両手ですくい取って、そのまま手に持っているような感覚が欲しかったのではないかと話します。
「事実、薄暗い茶室の中で、たっぷりと濃茶を練った黒楽の茶碗を手に取ると、手の中で色が消える。手でお茶をすくっているかのような錯覚にとらわれます。そんな触感、すなわち、自分の手の延長線上にある茶碗を見つけるということがとても面白いと思います」
一品一様。自分だけのお気に入りの茶碗を求めて
「一品一様。同じように見えてもどこかが違う、この世にふたつと無いもの。そんなことを重視して茶碗をつくっています。自分の表現を追求しつつ、使う方が喜んでくれる。そこがマッチすると嬉しいです」
と川嵜さん。
茶道のための特別な茶碗である楽焼の茶碗。使う人のことを想い、精魂込めてつくられた楽茶碗は、つくり手の手そのものでもあり、使う人の手の延長線上でもある。そんなことを思うと、茶碗選びがとても愉しくなってきます。
木村氏曰く「どんな道具もそうですが、少し背伸びをして、いいものを最初から手元に置く。最初だからと妥協せず、これは!と思うものに出会う努力をすること。そうするうちに段々と目が開かれていきます」とのこと。
楽焼の茶碗に限らず、妥協せずに選んだお気に入りの一碗を手にすれば、きっと愛着がわき、共に長く茶道を愉しんでいくことができるはず。
はじめて茶碗を求める方も、そんな意識を持って、様々な抹茶碗との出会いをぜひ愉しんでいただければと思います。
茶論オリジナルでおつくりいただいている「寧楽焼 黒茶碗」