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宗慎茶ノ湯噺

【宗慎茶ノ湯噺】其の十七「見立て」

【宗慎茶ノ湯噺】其の十七「見立て」

何気ないものの価値を認め直して世に問いかける

「見立て」。茶の湯を楽しみ、知る上で欠かすことのできない言葉です。

希少性があり高価である。華やかで芸術的に価値が高い。そういったものが茶の湯の道具やもてなしの肝(きも)かというと、必ずしもそうではありません。

日常のありふれたものの中にある美しさ、格好良さ。身近なところにある価値を模索して、茶の湯によって「侘び」という新たな美意識が見つけられました。

たとえば桂川籠(かつらがわかご)という道具。これは京都の桂川の漁師が使っていた魚籠(びく)を利休が取り上げて、茶席で花入れに見立てたものです。

町棗(まちなつめ)と呼ばれる、無名の職人によってつくられたどこにでも売っている棗。その中から“これは使える”と利休が選び、サインまで入れて人に贈ったり、自分で使ったりしたものがいくつも残されています。

何気ないものの中に、使い勝手がいいものがある。使い勝手がいいだけではなくて、ご大層な御道具、調度品、美術品、文化財に負けないような美しさ、価値のあるものがいくらでもある。利休はそんな価値観を見つけて、世に問いました。

元々は無かったものを作る場合もありますが、むしろ、すでにあるものの中から素晴らしいものを見つける。誰もが見向きもしない、当たり前だと思っているものが、実は当たり前ではなく、素晴らしく美しいものであった、という気づき。大きな再発見、もとい再生です。

そしてその価値を世の中に問いかけ、使い方を提案することに意味がある。というのが「見立て」です。

日常の道具の中から「もてなしの道具」を見つける

では、自分にとっての美しさや大切な価値観に気づくにはどうすればよいか。

その近道は、自分にとっての大切な“心地よさ”をきちんと探すこと。
身の回りにあるモノの中から「もてなしの道具」を見つける作業をすることだと思います。

ただのご飯茶碗、普通のありふれたボウルのはずが、立ち止まって思いを巡らせてみると、その絵柄や手取りがシンプルで、無機質で、何とも美しい。数ある中からなぜこれを選んだのか、きちんと考えてみる。

人をもてなすために真剣になることで、美しいものを選ぶフィルターの精度がだんだんと高くなっていく。そして、何気ないと思っていたものの価値に改めて気付かされます。

身の回りのものごとの中で、自分が大好きなもの、人と分かち合う価値のあるものを振り返り、多くの発見を得る。本当の意味で有意義な見立てとは、そういうものです。

茶の湯の時間などというのは、溢れ返る“もの”と自分との距離感を見つめ直し、その関係性を自分にとって価値のあるものとして編み直していく作業、道でもあると言えるでしょう。

茶の湯自体が非日常なので、自分が選んだ日常のものを非日常にメタモルフォーゼさせる喜びもあります。またそのことで“もの“との距離感、捉え方がぐっと変わるはず。その意外性も含めた楽しさを味わうことは、何よりのお茶の喜びですし、実はそれこそが「侘び」なんです。

真夏のビールと天ぷらは現代ならではの「見立て」

真夏の代名詞とも呼べる、冷えたビール(c)pixta


本来違った用途や役割だったものの中から、作り手さえ気づいていなかったような面白さや愛らしさを感じとって選び取る。もの・ことの魅力というものを自分の目線で再発見するというのが、見立ての大きな喜びであり醍醐味です。

その発見を誰かと分かち合うのに茶の湯はうってつけですし、それが茶の湯で長く求められてきた価値観と言えるでしょう。

そして茶の湯のもてなしは道具に限りません。お菓子やお茶、食べるものや飲むものにも見立ては重要です。その中で面白いのは、見立てによる“出会いのもの”。

この夏の時期、冷たいビールと天ぷらの相性の良さはもはや定番ですが、これは江戸時代にはなかった、現代ならではの見立てによる組み合わせです。

真夏のお茶事の際に、洒落たグラスでビールを、という例もあります。
薄くて小さい、冷えたグラスできゅっと飲み干すのがお洒落という感覚は、日本人ならではの発想・見立て。海外ではあまり好まれず、見かけない所作です。

“出会いのもの”で言えば、チョコレートやマカロンなどと抹茶も非常によく合います。たとえば、クリスマスやバレンタインなどの洋風の行事の際に、お抹茶と洋菓子の新たな出会いを探してみるというのも、楽しい見立てのひとつではないでしょうか。

道具にせよ、お菓子にせよ、もてなし、もてなされる場でこれを使う!
私のため、何より、あなたのため。きちんと選ぶ作業をうちに、好きとか、格好良いという価値観の根っこが我ながら自覚され、強くなっていきます。皆さんもぜひ、自分好みの、もてなしに使えるモノを見立ててみてください。
やがて小さなモノが、ちょっとしたデキゴトに。大切な誰かを愉しませ、自分を幸せにしてくれるはずです。

文:木村宗慎

茶人・芳心会主宰。茶道ブランド「茶論」総合監修。 少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。 国内外のクリエイターとのコラボレーションも多く手掛けており、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。 2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』(新潮社刊)の編集にも携わる。 著書に『一日一菓』(新潮社刊)、『利休入門』(新潮社)、『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』(ともにCCCメディアハウス)など。

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