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宗慎茶ノ湯噺

【宗慎茶ノ湯噺】其の十二 皐月「大切な人への贈り物」

【宗慎茶ノ湯噺】其の十二 皐月「大切な人への贈り物」

霞たなびく春。古の女性たちは「霞の眉」といって、野山が霞む時候の風景になぞらえて、あえて眉を薄く引いたといいます。やがて春が終わり新緑を迎える頃になると、今度はくっきりと濃い眉に。衣替えだけでなく、化粧の仕方にも変化をつけて初夏の訪れを体現し、愉しんでもいたのです。 夏目漱石の門下生でもあった俳人・松根東洋城の「黛を濃うせよ草は芳しき」という一句が思い出されます。東洋城は、若かりしころNHKのドラマ『花子とアン』(ちょっと古い例でご容赦ください)にも登場した女流歌人、柳原白蓮(美人です!)の恋人だった人物です。この句、あるいは恋人に寄せたものであったかもしれません。

時移って現代。春夏秋冬それぞれシーズンに合わせたメイクが、化粧品が媒体を問わずCMなどを賑わせます。人の営みや生活のスタイルに変化はつきもの。でも季節を愉しむ、綺麗や、可愛い、カッコいいといった美にあこがれる人の心に時代の差異は無いようです。

ところで「化粧」 。語源をたどれば「けわい」すなわち「気配」です。あれこれ塗って重ねて変身することも大事です…が一番大切なのは身にまとった気配を美しくすること。顔だちや姿の造作、だけが美しさの価値を決める訳ではありません。

さて、今回は大切な人に贈り物をするという風習にまつわる、しかも先ほどの「化粧」のくだりにも少し因んだお話を紹介したいと思います。

相手への想いを表すために何かを贈り合うという習慣は、とても素直な振る舞いです。平安時代の貴族たちの間でも当然ながら盛んでした。むしろコミュニティーが小さい分、今よりもっと大切だったかもしれません。例えば、端午の節句において、よもぎや菖蒲あるいは季節の草花で飾った美しい「薬玉(くすだま)」を互いに贈り合っていたことが分かっています。現代では、端午は男子の成長を祝う節句として知られていますが、もともとは女性の健康や安全を願って、厄除けとなるくす玉が贈られていたそうです。なお、『源氏物語』に登場する花散里という女性のエピソードで、くす玉にまつわる興味深いものがあるので紹介します。

あらゆるタイプの女性が登場する『源氏物語』の世界にあって、“花散里(はなちるさと)”は見映えはさほど美しくはないが、美しい心根の持ち主として登場します。あるとき光源氏が橘の花を蹴って粗末に扱っていたところ、花にも命があるのですよと教え諭したのが花散里でした。光源氏にとって、女性の美しさとはなにか、表面的な美しさを越えた価値に気付くきっかけを与えてくれる稀有な存在です。


花散里の綺麗な心根に惹かれた光源氏は、端午の節句にくす玉を贈ることを約束します。ところが周りの女性たちにくす玉が届く頃になっても、花散里の元にはくす玉は届きませんでした。しばらくすると、誰からもくす玉が届かない花散里を小ばかにしていた女性たちが思わず息を呑むような、大層立派なくす玉が届きました。贈り主を確認すると、そこには光源氏からの文が添えられていたのでした。

贈り物にはさまざまな形がありますが、心のこもった何かとともに、大切な人にあらためて自分の想いを伝えるという習慣は、いつの時代においても本質的には変わりません。もちろん母の日もその一つ。相手の健康や日々の暮らしの豊かさを願い、それを形にして表すための、東西を問わず大切にされてきた記念日であることは異論を待たないでしょう。定番のカーネーションに限らず、季節の草花を添えてもよいかもしれません。贈り物上手は、もてなし上手。これもまた茶の湯のもてなしの心にも通ずる振る舞いです。

木村宗慎

茶人・芳心会主宰。茶道ブランド「茶論」総合監修。 少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。 国内外のクリエイターとのコラボレーションも多く手掛けており、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。 2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』(新潮社刊)の編集にも携わる。 著書に『一日一菓』(新潮社刊)、『利休入門』(新潮社)、『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』(ともにCCCメディアハウス)など。

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