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宗慎茶ノ湯噺

【宗慎茶ノ湯噺】其の十「如月 恋の歌」

【宗慎茶ノ湯噺】其の十「如月 恋の歌」

平安時代も<絵文字>でわかる?告白OK・NGのサイン

心浮き立つバレンタイン。今回は、バレンタインにちなんだ<恋の歌>の話をしましょう。今も昔も、男女の間では互いの気持ちの伝え方をめぐり、悲喜こもごも様々な物語が繰り広げられます。古美術を観ていると「昔の人も今の私たちとなんら変わらず、泣いたり笑ったり、同じように生活をしていたのだな」と感じることが多いのですが、それは恋愛においても同じです。

興味深いことに、平安時代の貴族男性にとって、男女の機微に通じることは出世のためにも必要不可欠なスキルでした。人の気持ちを読み・共感する力は、当然政治の駆け引きにも生きてきます。人の頭数が少ない、コミュニティが狭い宮廷社会ではそれもそのはず。とりわけ、和歌が詠めること。三十一文字(みそひともじ)のわずかな文字数で、端的に自分の気持ちを伝える力は必須のスキルでした。これは、現代のSNSなどのメッセージサービスと全く同じです。私たちも、日々様々なデジタルツールを駆使して、端的で効果的な文章の書き方や写真・絵文字の使い方を試行錯誤しています。

さらに、当時もテキストのやりとりに加えて、ビジュアルコミュニケーションが重要な意味を持っていました。例えば相手に愛の告白をする際は、咲きかけの蕾のついた梅の枝に自分の歌を結びつけて一緒に送ったりしました。そして相手がOKの場合に返される歌は、綺麗に咲いた梅の花の枝に結びつけて届く。つまり告白の返事は、その梅の花の姿を見た瞬間に判明するわけです。逆に花も実もついていない枯れがれしい枝で届いたら、もう開けてみるまでもない(まだ返事がくるだけ、礼儀に適っているともいえますが…)。

これはLINEでの絵文字・スタンプの使い方と似ていませんか?返事が来なかったら<既読スルー>で、そうでなくてもお断りの時は絵文字なしのシンプルな対応をする、というのも現代に通じる部分があります。

筆と短冊のかわりに、片手にデバイス。ツールの違いだけで、やっていることは同じです。因みに、平安時代もバレンタインのように、恋心を伝え合うような催事がきちんとありました。興味のある方は、源氏物語などひも解いてみて下さい。

ものを知ると、背筋が凍る恋の歌

さて2月にまつわる有名なお話に『伊勢物語』の「西の対(にしのたい)」の段があります。俵屋宗達の作品をはじめ、多くの絵巻物の画題として描かれてきた重要なシーンで、逢瀬を重ねた屋敷で、想い人をずっと待ち続ける女の話です。男が久しぶりに都に戻り、かつて想いを寄せた貴婦人の旧屋を訪ねます。当時を懐かしく思いながら中の様子を見てみると、なんとその女が階(きざはし)に現れ歌を詠んだのです。

“月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして”

「彼と眺めた月が昇り、彼と愛でた梅の花が今年も咲く。同じように花が咲くことはなく、同じ月はない。でも、私の気持ちだけは変わらずにあの人を待っている」という歌です。男が京の都に帰ってきたという話は女の耳にも入っていて、その後必ず自分のところにくると思って待っていたのです。

その同じ段に出てくるのが、三年ぶりに今日訪ねてくる男を待っている時の女性の気持ちを詠んだ歌。

”あらたまの年の三年をちわびてただ今宵こそ新枕すれ”
(あらたまの としのみとせをまちわびて ただこよいこそにひまくらすれ)

新枕とは初夜のこと。初めて一緒に枕をならべるあの人が、今夜きっと訪ねてくるはず–––––つまり「三年も待ったのだから、今夜久しぶり彼に巡りあったら、まるで初めての夜のような気持ちよね。」と同じ女が詠んでいるわけです。三年の月日を待ち続けて、今夜久しぶりにあの人とともに時間を過ごす。なんとも情熱的です。

さて、歌人の俵万智さんによる<チョコレート語訳>という名前で有名な和訳があります。一見難しく感じられる和歌を、現代人にもわかりやすく共感しやすい言葉に翻訳されているのですが、上記二つの歌も俵万智さんが現代語訳されているので、ここでご紹介しておきたいと思います。

”同じ月同じ春ではなくなって、同じ心のわれだけがいる”
(月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして)

”三年を君に捧げて待ちわびて、今夜打たれるはずのピリオド”
(あらたまの年の三年をちわびてただ今宵こそ新枕すれ)


さらに、実は「月やあらぬ−−−」の歌は、唐代の詩人、劉希夷(りゅうきい)という人が詠んだ有名な漢詩がベースになっています。

”年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず”
(来る年も来る年も、花は変わらぬ姿で咲くが、それを見ている人間はなんとも移ろいやすく、毎年同じであることはない)

これは「毎年同じ花は咲くけれども、人間というのはうつろいやすくて、毎年同じであることはない」という、先ほどの和歌とは真逆の意味です。

教養ある平安時代の貴族は、唐代の中国の漢詩をよく勉強していましたから、伊勢物語の筆者、あるいはこの歌を詠んだ女性は、この漢詩を一般常識として知っていたはずです。その上で、その“常識”に対して「同じ花など咲かないし、同じ春などこないのだ、でも私の気持ちは変わっていない」と、アンチテーゼを突きつけたのです。劉希夷の漢詩を知った上で、この歌に触れると、女の情念がどれほど強いものだったかわかると思います。

ことほどさように、今も昔も、老いも若きも人間の本質的な部分というのは大して変わりはしない。だからこそ、いにしえの和歌や漢詩の記された軸などを観る際に、“自分とは無関係の、よくわからないもの”として切り捨ててしまうのは少々勿体ない。少しの想像力と共感の気持ちを持って接してみると、一見かび臭い茶道具や古美術も、いきいきと、より身近に感じられるはずです。

因みに、昔から色恋の和歌の掛物は茶席の床には掛けない、とする教えがあります。ところが、今に伝えられた和歌の記された軸ものは、その大半が恋の歌。というより、我々が目にし、耳にする和歌のほとんどは恋歌ばかり。季節の植物を詠じた、と思っていても、その実、もえるような恋心のメタファーだった、などよくある話です。要は、使い方と程度の問題。表面的なルールに縛られないよう注意したいものです。

文:木村宗慎

茶人・芳心会主宰。茶道ブランド「茶論」総合監修。 少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。 国内外のクリエイターとのコラボレーションも多く手掛けており、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。 2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』(新潮社刊)の編集にも携わる。 著書に『一日一菓』(新潮社刊)、『利休入門』(新潮社)、『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』(ともにCCCメディアハウス)など。

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