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宗慎茶ノ湯噺

【宗慎茶ノ湯噺】其の九「師走 炉の設え」

【宗慎茶ノ湯噺】其の九「師走 炉の設え」

炉の設え

〈茶人の正月〉といわれる11月の開炉を終えた歳暮。寒さが増すにつれ火の気も恋しくなり、炉の設えのお茶が愉しく喜ばれる時候となりました。

〈寒さ〉を感じるようになればこそ、囲炉裏の風情とぬくもりはご馳走に。古くは「柚の色づくを見て 炉を開けよ」と口伝え、年老いたものは早めに、若きは遅めに炉を開け、とも戒めました。室内の暖房を兼ねた設備でもある〈炉〉。若者があまり律義に早々と炉を開いて暖をとることは不格好と考えられていたのです。もっともそれは、薪炭の燃料の貴重だった昔、出来るだけ無駄遣いを控えよう、との知恵でもありました。

ここで、炉のもてなしを考える上でひとつ、示唆に富んだ面白い逸話をご紹介しましょう。

相手に相応しいもてなしを

ある時、千利休は息子の道安が茶会を開くという噂を聞きつけて、彼の留守中に屋敷を訪れます(ひょっとすると留守を見越してのことだったのかもしれません)。

明日の茶会の準備が無事に出来ているか、利休が茶室の様子をみると、侘びた小間の屋敷に囲炉裏がきちんと切られ、水屋の準備も整っていました。

すると突然利休は、腰に差していた刀を抜き、柄で炉壇を打ち壊してしまいます。呆気にとられた留守番の者を残し、彼は素知らぬ顔でそのまま立ち去りました。

家に戻った道安は、自分の父親が急に現れて、用意が出来ていた炉壇を壊して帰ったのを知って驚きます。慌てて道安は炉をふさぎ、侘び数寄の小間を諦め、広間の書院座敷に台子飾りの荘厳をして、棚を用いた正式な風炉の取り合わせに切り替えることで事を収めました。

この時道安が招いていた客は、古田織部。織部といえば利休の門人でもあり、武将茶人として、利休の没後は茶の湯の世界をリードし、大変な人気を誇った人物です。後日、利休が織部に、過日の道安の茶会の感想を尋ねると、立派な設えと丁重なもてなしに大変喜んでいたので、親として安堵したそうです。

つまり、茶の湯であっても〈親しき仲にも礼儀あり〉。目上の大名を招くのであれば、格調高いもてなしであるべきです。ちなみに当時の炉のしつらえは現在のように角のキリッと立った整った塗りのものではなく、粗末な作りのものでした。年少の道安が、年上の、しかも目上の大名である織部を侘びた小間の数寄屋でもてなすのは、いささか無礼に当たるかもしれない…。そこで台子を出して、格調高くもてなした道安が褒めてもらえたのです。単に道具・設えが侘び、約束ごとに叶っていれば人が喜ぶ訳ではありません。このエピソードは“互いの立場や置かれた状況をよく吟味し、相手に合わせた行き届いた配慮の上に立って、道具・設えを選び、もてなしましょう”という教訓と言えます。豪華な黄金の茶室がしみじみと侘びを感じさせることがあるやも知れず、極侘びの枯れかじけた一服が、鼻持ちならないいやらしさに映ることも忘れずに。

雪の演出を愉しむ

また、寒い時期ならではの、暖かみ・温もりを感じさせるもてなしを考えるのも、茶の湯の喜びであり愉しいところ。

例えば、蒸したてのおまんじゅうに、筒茶碗で点てたお茶を添えてお出しするなど、古来好まれるところ。口がすぼまって小さく、深い姿の筒茶碗は、湯が冷めにくく、お茶を温かいまま愉しめます。蒸したての酒饅頭などをあつあつのまま蒸籠の菓子器で供するのは、寒中何より喜ばれる趣向です。
道具、食味さまざまな角度から茶の湯の趣向は工夫されます。


雪の演出でいうと〈雪餅〉もあります。真っ白いきんとんや、氷餅をまぶした餅菓子に、〈雪餅〉と名づけて楽しみます。見た目、食感それぞれ工夫して、文字通り雪そのものを食べるかのような、感慨を求めるのです。

ちなみに、中国から渡ってきた故事に〈歳寒の三友(さんゆう)〉があります。これは、真冬の寒い中でも愉しめる(漢詩に詠んで楽しむことが出来る)、君子が愛すべき3つの植物、松・竹・梅のこと。冬枯れた寒い中にも、雪にしなりながらその枝葉を茂らせる松と竹。枯れてる枝の間からぽつぽつと咲く梅の花。それが日本に渡ってきて、めでたきものの象徴になりました。松竹梅いずれも、能狂言、歌舞音曲、茶の湯や俳句、さまざまな場面で、今も日本人の大切な〈友〉として親しまれます。
蛇足ながら、松竹梅が〈三友〉ならば、雪月花は〈三雅〉と称します。


今より自然が美しく、空気も環境も良かった頃は、降り積もった雪をそのまま水指に移し、その雪を柄杓ですくって釜にいれて…静かに溶けるさまを味わう、というような趣向も好まれました。今となっては降り積もった雪をそのまま口に入れるのはやや抵抗がありますが、昔は…というお話です。

しかし、その現状を嘆き悲しむのはお茶らしくありません。今の我々は我々なりに、昔行われたことを、どう工夫し取り入れられるかを前向きに考えてみたいものです。炉の切れない部屋であっても、畳ではなくテーブルでも茶の湯が楽しめるように。

さまざまに工夫して、現代の我々ならではの演出で、温もりを感じられるようなもてなしのあり方を考えてみませんか。あえて暖房を切って、少し肌寒い部屋の中でこそ、温かいお茶、筒茶碗の温もりを感じられるということもあるかもしれません。

歳末の忙しいひとときにテーブルでいただくお茶一服の喜びも、かけがえのないものです。

文:木村宗慎

茶人・芳心会主宰。茶道ブランド「茶論」総合監修。 少年期より茶道を学び、1997年に芳心会を設立。京都・東京で同会稽古場を主宰。 国内外のクリエイターとのコラボレーションも多く手掛けており、様々な角度から茶道の理解と普及に努めている。 2014年から「青花の会」世話人を務め、工芸美術誌『工芸青花』(新潮社刊)の編集にも携わる。 著書に『一日一菓』(新潮社刊)、『利休入門』(新潮社)、『茶の湯デザイン』『千利休の功罪。』(ともにCCCメディアハウス)など。

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